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──本日山梨県甲府市のカフェ・六曜館に来ております。ゲストは山梨県在住ながら日本、そして世界に発信しておられるmoshimossさんです。

 

ロックの素地とシンセサイザー

──では恒例なんですけどもご出身と生い立ちをお聞きしても良いですか?

竜王です。竜王小から竜王中に行って、高校は甲府西高でした。部活はやってなかったです。中学の時は何かしなくちゃいけなくてバスケに入ってたんだけどすぐ逃げました(笑)。

──なるほど。音楽はその頃から興味があったと。

爺ちゃんに買ってもらったギターを一人で弾いてましたね、Xとか。高校に入ってからはパンクとかが好きでちょっとづつ作り出したんです。
バンドも学祭に向けて組むとかはありましたが、所謂バンドマン的な活動はしていなかったです。卒業後は上京して一瞬だけ音楽の専門学校に行ったんです。でも本当に肌に合わなくてすぐ辞めました(笑)。

──音楽専門学校をすぐ辞めるというのは珍しいケースですね。

そう、生徒が先生の言う事を一言一句鵜呑みにしてノートしているのが何か馬鹿馬鹿しいなと思ったんです。パンク以外にもハードロックが好きだったし上手くなりたいっていうのはあったけど、全然馴染めない。ただ高校卒業して皆大学行こうとしてる中で、自分は進路どうすんの?って考えたらとりあえず音楽の学校に行ってみるのは有りかな、みたいなことをボンヤリしか考えられなかったんですよ。
しかしパンクが好きなのにギター習いに学校に行ってる時点でちょっと何考えてんのっていう。本当に数回で行かなくなっちゃいました。親に対して反省してます。

──元々テクニックに傾倒しすぎたロックに対するカウンターがパンクなのに(笑)。
その後はどうしたんですか?

辞めてからは1年ほどいた東京から山梨に引き上げてふらふらしてました。ちょうど12年前くらいでしたね。
その頃は山梨出身の友人と東京でバンドを組んで活動もしていたんですがそれもなんとなく上手くいかなくて。でも音楽はやりたいんですよ。だから何か1人でできないかなぁと、山梨に戻ってから甲府のパセオ(甲府市中心街にあったデパート)の島村楽器で打ち込みをできるようなシンセサイザー(MC505)を買ったんです。

──おお、文明の利器ですな。

シンセを買ったことで「1人でやるなら何だろう、テクノ?」みたいな感じでテクノに興味を持ちました。それまでそういう電子音楽はあんまり聴いた事なかったし、一人でやることを余儀なくされて、流れ着いたという感じでしたね。
シンセ買った以降は、エイフェックスツインとかドラムンベースとかそういう音楽も聴き始めました。

──当時山梨でそれらの音源を掘るのも難航したろうと推測されますが、ギターからシンセ、打ち込みに転向するというのはよく聞く話ではありますね。

でもシンセいじるのはもう勉強って感覚がまったく無いんですよ。楽しすぎて。
初めて買って2日くらい説明書も見ずに徹夜でいじりました。今はパソコンで音源作ったりすぐできますけど、当時は自分の音源をつくって聴くっていうこと自体が自分の中でセンセーショナルな事だったんです。だから楽しくて楽しくて体壊すほどのめり込みましたね。

 

ダイヤルアップでMP3

それからまた東京に少しだけ戻ってバイトをして作りまくったりしながらDJもやってました。本名のKosuke Anamizu名義で本格的に活動を始めるのは24歳で、デモCDを初めてレーベルに送り始めた時です。24って厄年じゃないですか。そしたら本当に年の初めに暴漢に襲われて新聞沙汰になったり大変だったんですよ(笑)。
でも「これで厄が落ちた」と思ったのでガンガンやろうと。丁度それをドイツのレーベルであるTraumに送ったんですよ。Eメールでなく直接CD付きの手紙を。

──何故、ドイツのTraumに送ったんですか?

自分の持ってるレコードで自分のテイストに近いかなという物のレーベルで、住所が載ってるものをピックアップして選びました。当時はメールより書いてある住所に送る方が普通だったんですよ。何よりまだダイヤルアップ回線の時代でMP3の音源を送るなんて重過ぎて無理だし、soundcloudみたいなものもないし。

──つい十数年前の話ですからねこれ!遅ーいダイヤルアップでピリリリリ、通信費がかさんで親に怒られ、ひたすら忍耐という。光ファイバーとか無線LANで音楽やってるなんて甘っちょろいんですよそもそも!笑

それに何となくずっと東京っていうか、中心に対して「なめんなよ」って気持ちもあったんですよ。敵対してるって感じでは無いんだけど何処に住んでても出来るでしょみたいな。あと当時のテクノはケンイシイがベルギーのR&Sからリリースしてバリバリやってたし、何処にいても世界と1対1でやれるんだという空気がありましたね。
そしたら送った「moopy」という曲をTraumから毎年1枚出すコンピレーションアルバムに収録したい、と返答が来たんです。嬉しかったですね。その後もなんか評判が良かったみたいで12インチ(アナログレコード盤)で音源も出す事になったり。
でもあまり実感は沸かなかったです。そこからまた苦しいんですよ。自分が何を作っていいかわからなくなって。

 

自己模倣、迷走、そして解放

──と、言いますと?

リリースはできて良かったんですけど、最初に出した音源の影を追う感じになってしまったんです。自分がやりたいから物をつくる、というよりリリースが決まって納期に向かってやる感じ。まだ未熟だったっていうか何がやりたいか固まってなかったので、分からなくなったんです。その当時を思い返すと、気持ちは暗くて毎日ひたすら模索してるので遊びにも殆ど出ない。
そんな何を作ったら良いのかよく分からない中でアルバムの発売だけが日本のレーベルで決まっていて、とりあえず製作したんですが「これじゃ出せない」とダメ出しされてしまいました。へこんだんですけど、確かに自分でも良いと思わないものはリリースできないな、と。
それが良い機会で好き勝手やる、という原点に戻るべく敢えて一度ダンスミュージックから離れて好きなものを作ろうと。そしたら段々頭も整理されてきて、何がしたいか見えてきた。

──なるほど。それが今の一連の音楽制作に結実していくわけですか。

そうです。後々自分でレーベルを立ち上げたりmoshimossの活動も始めていくことになります。
去年はmoshimossとして「endless endings」をnothings66というレーベルからリリースしたり、Preghostという別名義の作品もアメリカのn5MDからリリースしましたし。

──DJカルチュアでは一アーティストが別名義で作品を出したりはよくある話ですが、住み分けの様なものはありますか?

Preghost名義に関してはアルバムの制作時期がmoshimossのアルバムの製作時期と重なってたというか、少し連動していて。moshimossのアルバム製作で息詰ってボツ曲というかちょっと暗めだったりアルバムにハマらないような音に気分転換する感じでmoshimossでは使わない強めのビートを入れたりして色々試して発展させていったら、自然に何曲も出来そうだったのでこれはこれでまとめて別名義でリリースしたいなーと思ったんです。
それをn5mdにデモを送ってスタートしたって感じ。moshimossよりもダンス寄りなビートが入ってます。

──なるほど。ところで、今でさえ山梨日日新聞に取り上げられますけどデビュー当時(2003年)は話題にならなかったんですか?高校生だった僕はまったく存じ上げなかったんですが。

 

山梨なめんな

興味ある人も少ないし、そもそも話題になるとかそんな次元じゃない。勝手に山梨代表って言ってたけど山梨には向けてないというか、自分は一人で勝手にやりますよって感じでした。
でも当時は「何でそんなに山梨推しするの?」ってよく言われましたね。今と違って地方推しする風潮はほとんど無かったから。日本=東京って感じがあったし。山梨自体が自分自身みたいなところがなんとなくあって、山梨って駄目だ、みたいな風潮が山梨ではあるから「なめんなよ」と。
何にも無いからこそクリエイティブな気持ちが出てくると思うんですよ。盆地で山に囲まれているし、日本も海に囲まれてて鎖国とかしてたじゃないですか。なんとなく日本の縮図だと思うし、土着性が凄くあると思うんです。良くも悪くも。

──分かりやすい見立てだと思います。ヒップホップのレペゼン文化定着前からその様な気概を持っていた、と。

どうですかね。レペゼン文化についてはよくわかりません。
でも山梨の人って本当山梨好きですよ。「山梨原人」って本をstillichimiya(スティルイチミヤ)と出したんですけど県人気質的に「こんなのぜってえ売れるわけねえじゃんけ」と文句言われると思ってたんですが、凄い気に入って貰えてたみたい。ツンデレですよね。滅茶苦茶地元愛あると思いますよ。

──確かに!

でも、山梨を盛り上げよう!みたいな活動が空を切る感じは少なからずある気がします。山梨の為とかいうよりも、面白いと思ったことをみんな好き勝手やればいいと思ってて。面白いかどうかが優先順位で上にないとダメかなーと。
なので、みんなが自分のしたいことを勝手に楽しんでやっていればそれが廻り回って山梨の為になるかもくらいな感じで思ってます。頑張るとか、行動するってこと自体が目的になって気持ち良くなってたら駄目かな。
そもそも、自分は山梨のためにやってないです。もちろんいつか良い感じで役に立てたらいいなとは思いますけどね。

──それを聞いて僕が思うのはやはり去年の国文祭ですね。文化の国体と言われる28回の歴史で初めて通年の開催になって知事も「今年の目標は国文祭の成功だ」なんて表明していましたけども、結局決定打が無く終わったという(笑)。それよりも年末に林真理子さんが打った教養イベントのエンジン01の方が全然面白さ的な突破力があった。

それでは最後に山梨の若者に一言お願いします!

偉そうな事言える立場ではないんですが「山梨のせいにすんなよ」ってことですかね。山梨って、実は良い。無いから良い。逆にチャンスだと思ってます。

──ありがとうございました。

 

 

編集後記(小池)

大分更新滞りましたがみなさまお久しぶりです。

雪の爪痕もまだ癒える間もないですが、僕にできるのは文化復興なのではないかと、このインタビューをドロップさせていただきます。

今、山梨は本当に面白い!ヒップホップカルチャーが一番キーですが、moshimossさんも然り。それから今年3月末スタートのNHK朝ドラ「花子とアン」の舞台は甲府市、20周年を迎えた「美少女戦士セーラームーン」も原作の武内直子さんは甲府市出身ですし、加えて今はご当地アイドルも乱立して熱い!特に今頭ひとつ抜けてる小学生3人組「Peach sugar snow」は都内でも着実に人気を掴んでいます。

雪の被害をバネに甲州がつくしの様に芽を出す事を願って、それではまた次回!

 

kosuke anamizu / moshimoss(モシモス) – 1979年山梨県生まれ。音楽家・イラストレーター。山梨の音楽レーベル、Neguse Groupを主催し、Kosuke Anamizu名義で、ドイツのTraumからProcessとのスプリットEPやmule electronicからリリースした、ミニマルハウス・ダブなどの作品で知られる。
2010年、サンフランシスコを拠点とするdynamophone recordsより「Hidden Tape No.66」をリリース。2011年には、L.E.D. feat. 原田郁子の「I’ll」のRemix EPにリミキサーとして参加、リミックスワークも多数手がける。2012年には moshimossとしてFujirock Festival’12 への出演を果たす。2013年5月にはmoshimossの2ndアルバム「endless endings」をnothings66からリリース。新たにスタートしたPreghost名義でのアルバム「Ghost Story」も同年11月にn5MDよりリリース。
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