JUNYA KONDO

KONDO

‐こんにちは。本日は池袋のイタリアントマトに来ております。甲州最前線今回のゲストはスガシカオさんのバックバンドを始め、自己のグループFIRE HORNSで去年メジャーからCDをドロップしたサキソフォン奏者の近藤淳也さんです。よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

 

野球を諦めて音楽へ

‐ではまずご出身を教えて戴けますか?

山梨県甲府市朝日町出身です。朝日小学校、甲府北中、甲府第一高校でした。

‐サキソフォンを始められたのはいつですか?

高校の時です。中学までは野球部だったんですけど、幼いながらに自分の運動神経とか才能がどうとか悟るんですよね。天才だと思っていた先輩が卒業してから甲子園常連校、山梨学院高校とかに入ってベンチ入りもできないとかそういう事実を目の当たりにして「あの人でこうだから俺は高校レべルは通用しないな」と思ちゃったんですよね。
自分と同じ代の天才、打っても良し投げても良し守っても良し、守備もどこでもできるし足も速いっていう様なやつでやっと高校で太刀打ちできるかできないかなんだろうからもう野球はいいや、と。

ーなるほど。

そうなった時に父がトランペット奏者、叔父がサックス奏者だったこともあって野球じゃなかったら音楽かなと高校の時にスポーツから音楽に転向しました。何故サックスを選んだのかは良く覚えてないんだけど。当時は吹奏楽部でサックス、軽音でドラムとヴォーカルをやってました。やっぱりドラムは家で練習できなかったからかな。サックスの方が練習量も多かった。練習できてたらどっちを選んでいたかわからないですね。
吹奏楽部でサックスは始めましたけどさっさとジャズをやりたかったんですよ(笑)。当時から勝手に色々聴いてコピーして吹いたりしてました。

‐多彩だったんですね。 その後の進路はどうしたんですか?

大学は関西の学校に進学しました。何故なら東京が怖かったから(笑)。当時の自分のことはもう忘れたけど「東京に行ったら駄目になる。東京怖い」みたいな感じで進路を決めるとき東京に行くのが凄い嫌だったんです。で、そんな時京都に遊びに行ったらすごい良くてやっぱり関西かなと京都の大学に進学しました。

‐音楽的な意味では無く?

そうなんですよ。住み心地的な話で笑。それで大学に進学してからビッグバンドのサークルに入りました。最初はトラディショナルなジャズをやりたいと思ってたんですけど僕の入ったところはどちらかというと現代的なジャズを演奏する楽団でした。最初は違和感もありましたけど聴いてるうちに段々カッコよくなってきて、のめり込んでいきます。やっぱりどこの学校にもスタープレイヤーがいるものなんですけど、かっこいい演奏をする先輩に憧れていました。
ファンクミュージックもその頃に先輩から教えてもらったんです。特にメイシオパーカーのCDには心を撃たれましたね。凄い単純なことをやっているけど超ノリノリで衝撃でした。他にもグローヴァーワシントンjr.とか大学の時は色々な音楽を吸収しましたね。本当に楽しい学生生活でしたよ。

-あと留年は大学生ジャズメンにありがちなことですが、大学は4年で卒業されましたか?

ちゃんと卒業しましたよ(笑)。3年生の時に山野ビッグバンドジャズコンテストでベストソリスト賞と優秀ソリスト賞も取ったけど、当時は「音楽は趣味じゃん?仕事にしちゃ駄目だよー」と斜に構えていました。ちゃんと仕事して音楽はできる男の趣味でやるんだと就活もちゃんとして関西に本社がある電子部品を扱う会社に就職したんです。

 

夢がない

でもまあサラリーマンが合わなかった(笑)。ものすごくつまらなくて。仕事がというより「出世したかったら仕事よりもゴルフをがんばれ。大事なのは社内接待なんだからな、近藤」という様な体質の人が多かったんです。 新入社員にいきなり仕事を振られることなんてそんなにないから仕事頑張って営業しても全然暇なんですよ。でも定時に帰ることすら疎まれる会社だったので2か月で嫌になってしまった。
時を同じくして、たまたま定年間近の自分の営業所長と公認会計士をやっている28歳の友人のお姉ちゃんの年収が同じということを知った時はあまりに夢が無く思えてしまい何をモチベーションにしていいかもわからなくなってしまったんですよ。たまに参加する友人とのセッションでも自分の衰えを感じる。24時間体制で練習していた頃のことを思うと「俺は何のために生きているんだろう」と。
だからその年はお金を貯めてすぐ会社を辞めて音楽をやっていこうと決めたんです。

-確かに今まで楽器の腕を磨くということをやっていた人が仕事の目標を年収にもやりがいにも見いだせないのはつらいですね。
それから今につながる活動を始められるわけですか。

そうですね。それからサラリーマンを辞めて東京で活動を始めました。最初はあまり知り合いもいなかったけど色々なジャムセッションに顔を出していくうちに色んな仲間と出会っていきます。
そんな時甲府のジャムセッションで今一緒にやっているトランペットのAtsukiとたまたま会ったんですよ。彼が長野から上京するタイミングと僕がサラリーマンを辞めるタイミングがちょうど同じくらいだったので東京で一緒にXLTというバンドをやり始めた。1年半くらい新宿とか厚木とか色々なところでライヴしていましたね。
当時流行っていたRHファクターとかを意識しながらジャズやファンク、フュージョンとか色んな曲を演奏してましたね。それが今のFIRE HORNSに繋がっていきます。

-なるほど。お互いに活動拠点ではない甲府が出会いの場所だったというのは興味深いですね。

 

FIRE HORNS誕生

そしてたまたまスガシカオのベースを担当している坂本竜太さんがAtsukiと知り合いになったんですよ。そうしたらちょうどスガさんがホーン隊(トランペットやサックス、トロンボーンなどで編成される管楽器セクションのこと。通常2、3人くらい)を探しているらしくAtsukiに声がかかって、彼の関係で僕と初代トロンボーン(現在のTocchiは3代目)が集められた時がFIRE HORNSができた瞬間だったんです。
最初のリハで色々指導してもらいながらやってみたらスガさんにも気に入ってもらえて「じゃあ夏フェスでやってみるか」とRock in Japan Festivalとか今はもう無くなっちゃったけど広島のSETSTOCKとかJ-wave界隈のイヴェントに出ました。もう大興奮でやってましたね。代々木とかのステージで「うわ、俺こんなとこ立ってるよ」って(笑)。それが25歳の時。
それから秋のツアーも一緒に周らせてもらえて。そうしたらそのツアー中でいつもはスガさんに「今日はホーンセクションつれてきたぜー」とか紹介されてたんですけどある時「紹介するけどポカンとするなよ!FIRE HORNS!」って打ち合わせなしで紹介されたんですよ。多分ノリでつけたんだと思うんですけどね。スガさんのバックバンドがFunk FireなのでFIRE HORNS(笑)。

-え!スガシカオさんが名付け親だったとは!

そうなんですよ。そこから「折角名前もらったんだからおまえらバンバンやってけよ」と竜太さんやスガさんに言ってもらえたのでスガシカオバンドからのスピンオフみたいな名目で独立した活動をしていくんです。
それと、ちょうどその頃に雑誌「サックス&ブラスマガジン」という雑誌が創刊したんですよ。その時の編集長さんが僕らにジャズファンクセッションの企画をくれて2、3年タッグを組んでやっていました。その編集長さんも凄く良い方で「自分が編集長になったらスターを輩出したい」と言ってたんです。そして去年その雑誌のリニューアルに際しての最終号で僕らのCDデビューの記事が掲載されました。
色んな人の想いが乗っかっている感じがとても嬉しいですよね。

ーそれでは今後の展望をお聞かせいただけますか?

FIRE HORNSに関してはこれまでスガシカオさんやジャンクフジヤマさんと仕事をやらせて戴いたり、Sky-Hi君とクリエイティヴなことをやったり色々な人とコラボレーションをしてきたんですけど、まだまだファンクとかインスト(歌無しの音楽)っていうだけで聴く人が減ってしまう状況なので今後ももっとJポップのアーティストと一緒にお互いが元気になれる様なコラボレーションをしていきたいというのがひとつ。
もうひとつはせっかく言葉の無い音楽をやっているので海外でも公演が打てる様にしていきたいな、というのがひとつ。
あとジャズ畑の人はどんどん難解でアングラな方向に行ってしまう人が多い(笑)。でも彼らが毛嫌いするJポップも凄いクリエイティヴな人たちが作っている素晴らしいものですからね。その架け橋になれたらいいなと思っています。

 

だんだん恩返しできるようになってきた

-なるほど。ありがとうございます。
それでは山梨のことについても伺いたいんですけど何か思うことはありますか?

そうですねえ。甲府の街とか自分も行こうと思わないですもんね(笑)。どうすればいいとかは中々難しい状況だと思います。
僕は大層な事言えないけど山梨でライヴをしたいとは思っています。ライヴハウスとかじゃなくて子連れの友人や家族の知り合いとかでも来やすいホールとかでやれる様にしたいですね。ワンマンじゃなくても県内の吹奏楽部とコラボレーションできたらいいな。
最近やっと少しづつ母校とかでも自分が関わったスコア(楽譜)を提供したりとか恩返し出来るようになってきたので。相手が嬉しいと思うことを押しつけがましくならないようにしていきたいと思います。
東京で中学生とか教える機会もあるんですけど、 やっぱり学生の吸収力は半端ないですよ。ちょっと教えるだけですぐ自分に似た音になったりする。でも山梨だとあまり体験する機会が無いじゃないですか。ジャズは難しいとか思っていても強烈に楽しい経験をもっと提供できたらもっと視野が広がるんじゃないかな。学生終わって吹奏楽やめたら「もうやることないな」っていう風に燃え尽きちゃうんじゃなくてこんなものもあるんだっていうのを知ってほしいと思います。

-なるほど、燃え尽き症候群ですね。とてもよくわかります。日本の吹奏楽の勿体無い部分ですよね。先生の指導に頼りすぎて能動性を伸ばせずいざ、卒業したら自分で何をしたらよいのかわからない、ということが一因だと思うのでジャズの自由度の高さに触れるというのはとても益になると僕も思うんですよ。

そうそう。

-では最後に山梨の皆さんに一言お願いします。

山梨の盆地から出たサックス奏者がなんとか東京で頑張った証が去年CDとしてリリースされましたので是非聴いてみてください。FIRE HORNSのライヴにも是非遊びに来てください!

-ありがとうございました。

 

編集後記 (小池)

今回は僕と同じサキソフォン奏者の先輩である近藤さんのインタビューをお届けしました。いかがでしたでしょうか?スガシカオさんの事を「スガさん」なんて中々言えないですよ!笑。本当に山梨出身で面白い人って沢山いますね。
去年はあまり更新できませんでしたが、今年も甲州最前線はユニークな山梨出身者にインタビューしていきますのでひとつよろしくお願いします。
それではまた次回!

 

近藤 淳也
1984年生まれ。山梨県出身。
高校吹奏楽部からサックスを始め、同志社大学The Third Herd Orchestraにて山野ビッグバンドコンテストで最優秀賞、優秀ソリスト賞を受賞。 サックスを、近藤和彦、栗田洋輔、大野清各氏に師事。フルートを、WAKA氏に師事。
ファンクホーンセクション【FIRE HORNS】のメンバーとして、2014年ビクターエンターテイメントより1stアルバム『Primal Ignition』でメジャーデビュー。
ジャズ、ファンクを基軸としたプレイスタイルと、ステージ上での情熱的なパフォーマンスを武器に、これまでにスガシカオ、矢沢永吉、bird、ジャンクフジヤマ、つのだ☆ひろ、SKY-HI(AAA)、雪乃、GRANRODEO etc…ライブ、ツアーサポート、レコーディングなどに参加や、ネイザン・イースト来日ライブのメンバーに抜擢されるなど、首都圏を中心に幅広く活動をしている。

FIRE HORNS Official Website

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